残されていた能力

子供をあやすために積極的な会話をしたり、表情豊かに語りかけたりする時のケイコさんは優しくて知的です。ケイコさんのお洋服をTelenoidが褒めた時の笑顔は可愛らしい女性の表情でした。

様子を見ていた入居者の女性が「こんなにしっかりとお話しできる方だったなんて…」と絶句するほどの変化でした。

私はケイコさんが立派なお母さんだったことを感じ、素敵な女性だと思うようになりました。Telenoidを通していくつも発見がありました。

例えば、ケイコさんは時々玄関に行き靴を持ち上げます。これは散乱している靴を整頓してあげようという気遣いです。妻として母として家庭を切り盛りしてきた様子が目に浮かびました。彼女は外出しようとしてるわけではないのです。しかし、ケアスタッフは誤解しています。ケイコさんが靴に触れることにケアスタッフはとてもナーバスでした。

Telenoidが歌を歌うとケイコさんの表情は一気に明るくなります。彼女は「上手!上手!」と褒めます。そして、彼女は忘れてしまった歌詞を一生懸命思い出そうとしていました。私はオペレーターに「春が来た」や「ふるさと」などの歌い出しを繰り返し歌って欲しい、1番の歌詞だけを繰り返し歌って欲しいと伝えました。
その方が、ケイコさんが思い出すサポートになると思ったからです。

別れの予感

4日目になるとケイコさんの様子が変わりました。

それまでは「この子のこと好き?」という質問に好意的な返事をしていたのに「どうせ、居なくなるのでしょう」と言うのです。

ケイコさんは日中、Telenoidがいないことに気付いたのでしょうか。ネガティブな気持ちにさせたことを申し訳なく思う一方で、ケイコさんの認知能力が改善していることを実感しました。

ケアスタッフの変化

こうしたケイコさんの変化に最も驚いたのは施設のケアスタッフです。「どんな話をしているのですか?」「なぜあんなに話しができるのですか?」、次々と質問が来ました。

ケイコさんは子供と話したかったのだと思います。母親同士で子育てや家族の愚痴や自慢等のおしゃべりがしたかったのだと思います。”Telenoid(人間の子供)”と”Telenoid(人間の子供)を抱いた女性”が現れたことで、その望みが叶い、ケイコさんにとってワクワクする刺激的な時間になったのではないでしょうか。と伝えると、スタッフの方は「自分の関わり方を見直してみようと思います」と言われました。率直な言葉が心に残りました。

拒絶と愛情

5日目以降は「もう嫌い…帰りなさい」「ここにいたら…だめ」、雰囲気は好意的なのに、言葉では拒絶します。最終日の7日目はさらに強い調子になりました。私は思わず、本当のことを言ってしまいました。すると、やっぱりという表情になりました。

詩子:ごめんなさい、私達もうここにはいられないの。今日はお別れを言いに来ました。

ケイコ:そうでしょう…だから…

ケイコ:もう嫌い…帰りなさい

しかし、ケイコさんには認知症状特有の不穏な表情や拒否の態度はありませんでした。虚ろな様子も無く、意思を感じました。私は思い切って「この子のこと、嫌いになったの?好きって言ってくれてたでしょう?」と何度も問いかけました。すると、しばらくしてケイコさんは目を閉じ、静かに言いました。

「…ふつう…もう行きなさい」

認知症ケアの鍵

私は本当に驚き、感動しました。ケイコさんからは彼女自身の心が傷つくことを恐れる気持ちとTeleoidの心が傷つくことを恐れる気持ちの両方の間で揺れ動いていることが伝わってきました。もしもケイコさんが無感情な人間ならば、私達が去ることにも無関心のはずです。彼女には繊細な感情があり、相手のことを思いやる理性もあるということが分かります。認知症状を持つ人は何も分からない人だという誤解が多いのですがTelenoidとのコミュニケーションを見れば、そうした誤解を解いていけると思いました。このことがきっかけになり、介護領域でのテレノイド活用について継続的に関わっていくことになりました。