テレノイドの事業化を実現した人々

大阪大学石黒浩教授の研究成果『テレノイド』が実用化されるまでの物語です。

文・宮﨑詩子

あらすじ

 私がテレノイドを初めて見たのは六本木・ハッカーズバーのイベントでした。認知症ケアに役立つことを感じ、広まって欲しいと思いました。その後、仕事の依頼をもらい、ケア施設で認知症状のある方がテレノイドを使う場面に居合わせるという体験をしました。その7日間の体験は驚きと感動の連続でした。ケイコさんという女性がテレノイドと接した時に起きた変化についてご紹介しています。

続く「転機」には宮城県庁から届いた1通のメールがきっかけとなって実用化導入第一号が決まり、宮城県独自の介護ロボット補助事業立ち上げへとつながったこと、最後の「展開」では宮城県庁の「国内各地はもとより世界中から頂いた震災の返礼として他国内外の自治体、地域の参考になる”攻めの事業”を」という想いが結実し、石黒教授の研究拠点である関西・大阪の介護施設に本格導入が決まるまでのことを書きました。

その後も、テレノイド事業を通し、本当に多くの素敵な出会いを得ることができました。各地でのデモンストレーションを通して出会った、認知症のおじいちゃんやおばあちゃんの熱意が、人の心を動かし、この事業を発展させてきました。そうした数々の素晴らしいエピソードは残念ながらここでは表現しきれておらず、”物語”と称するには、あまりにも粗削りな内容なのですが、少しでも、その時何が起きていたのかを知っていただく手掛かりになれば嬉しいです。

手元に残っているケイコさんとの会話の書き起こし資料を読み返すと、それはまさしく当事者の『声』であり、認知症ケアへの問題提起が凝縮されているように感じます。この貴重な『声』を知る者として、活かしきれていないことに、もどかしさと力の足りなさを感じていますが、私のあきらめの悪さがいつか役に立つことを願っています。


はじまり

ハッカーズバーで、はじめてTelenoidを知る

私は2016年2月に六本木のハッカーズバーで行われたイベントで初めてTelenoidを知りました。友人のお店だったので、怖いもの見たさ、ちょっとした好奇心から見に行きました。石黒浩教授の名前は知っていましたが、Telenoidの存在は知りませんでした。

 研究論文を読んだこともなく、どういうコンセプトで作られたものかは分かりませんでした。写真を見る限りは怖いし、認知症高齢者の役に立つようには思えませんでした。しかし実際に触れてみると、納得しました。私自身が、長年、祖母の認知症ケアをしていたことと、過去に人形作家としての制作経験があったので、Telenoidが認知症状を持った方とのコミュニケーションに役立つことはすぐに想像ができました。介護現場で役に立つ道具だと確信し、広まって欲しいという気持ちでしたが、この時はまさか自分が事業を引き取ることになるとは全く思っていませんでした。

その一か月後に株式会社テレノイド計画(当時)から、認知症高齢者とTelenoidが対話をする場に同席する仕事を頼まれました。自分の予想と実際の様子を、自分の目で確かめてみたいという好奇心から引き受けることにしました。

70代の認知症女性がTelenoidに会う

有料老人ホームに入所しているケイコ(仮名)さんは70代の女性でした。約半年前から自閉傾向が強まっていて、介護スタッフや家族との会話も成立しないほど悪化していました。私が「こんにちわ」と挨拶してもケイコさんは無関心のままです。返事もなく、目は虚ろで表情もありませんでした。彼女は夢遊病者のように廊下を行き来しています。

最初の驚き

ところが驚いたことに、ケイコさんは ”Telenoidを抱いた私” には話しかけてきました。

「かわいい…」唐突なつぶやきでした。彼女は子供が大好きなのだなと思いました。そして、人形とは思っていないのだなと感じました。そこで私は”子供を連れた母親”を演じることにしました。すると、楽しくおしゃべりができるようになりました。ケイコさんは女性スタッフが嫌いだと聞いていたので私のことを好意的に受け入れてくれたことにとても驚きました。

Telenoidの記憶

翌日、同じ夕方の時間に施設を訪問しました。昨日から22時間経っています。ケイコさんは私のことを覚えているでしょうか?介護スタッフの説明ではケイコさんには理解力も、記憶力もないはずです。私は7日間、同じデザインの服を着て、同じ髪型で参加することに決めていました。

 昨日と同じように”こんにちわ”と声をかけましたが、ケイコさんの反応は “…” 。昨日と同じく無反応です。私のことはやはり覚えていないようです。私はその場を一旦離れ、Telenoidを使う準備を始めました。電源を入れ、ネットワークにつなぎます。この時はオペレーターは遠隔地にいて操作をします。どんな風に進めていくか、その場の様子を伝えながらどんな風に進めていくか、どんな声掛けをして欲しいかを電話で打ち合わせをしながら進めるため、試行錯誤の連続でした。

なんとか準備が整い、もう一度、Telenoidを抱きかかえてケイコさんに会いに行きました。

すると…

ケイコ:あら、来ていたのね!

Telenoid:僕のこと覚えてる?

ケイコ:もちろんよ!

彼女はTelenoidの存在を覚えていました。その後は、私たちは昨日よりも活発に子育ての大変さや楽しさを語り合いました。