私は2016年5月からテレノイドを使った介護領域向けのサービスモデル設計の依頼を受けて活動していました。そして2017年5月に“テレノイドケア ” というサービスパッケージを作りました。この時、私は社員でもなければ役員でもありません。業務委託として仕事を引き受けていたにすぎず、この会社はクライアント先の一つでした。

認知症ケアと自分

私はプライベートでは祖母の認知症ケアを納得のいく形でやり遂げたことで、関係者全員 (祖母も私も家族も外部の専門職も)が幸せな時間と幸せな思い出を手に入れられたという貴重な経験をしています。

その一方で、多くの認知症の方々が、重症化とともに“コミュニケーションが断絶した谷 ” に落ちてゆく様子を、いつも悲しい気持ちで見つめていました。それは介護する側の人々にとっても、つらい人生経験です。

私は苦しんでいる人々がいることを理解していましたが、自分が無力であることも理解していました。だから、悲しい気持ちを感じながらも、自分や家族の人生を復活させることで精一杯でした。

その途上で、この事業に関わることになりました。テレノイドは谷の底に向かって降りてゆく迂回ルートがあることを教えてくれています。しかも笑いに溢れているのです。かつて私が悪戦苦闘しながらようやく手に入れた介護の豊かさと尊厳に簡単に辿り着くことが可能なのだなと感じました。

ちょっとしたボランティア精神

ところが、認知症の方々がテレノイドを「欲しい!買って来て!」とリクエストする日は来ません。なぜなら、周囲と交渉して物事を動かしていく能力が低下している状態にあるからです。 何を与えるかを決めるのは、周りの認知症ではない人々であり、彼らがテレノイドの必要性を自然発生的に理解することはないでしょう。

なんて切ないことだろうと思いました。 同時に、必要性を理解した私が何もしないことを選ぶのは、谷に突き落とす側にまわることのように感じました。依頼された仕事を最低限こなすのであれば「これが私の考えたアイデアです、あとはよろしく」と言って手放してよいはずでした。

でも、そうすることはできませんでした。せめて、との気持ちで、機会があれば丁寧なデモ実演と解説を行いました。その結果、必要性が伝わり始めました。よかったなぁとホッとしましたが、認知症の方々がテレノイドを手に入れる方法は保証されていない、という事実も鮮明になりました。そこで、実際に手に入れる方法を考え、検証しました。それが“テレノイドケア ” というサービスパッケージです。私が依頼されていた仕事は最大限の結果を出し完了しました。

普及の責任者は誰?

さて、次の問題が発生しました。“テレノイドケア ” はどうしたら普及するのでしょうか。誰が普及を保証するのでしょうか。当時、この会社には実質的な事業推進の責任者がいない状態でした。普及の道筋を立てるには、私が関わるしかありませんでした。そこで代表取締役をお引き受けすることになりましたが、実は本意ではありませんでした。

新たに事業を立ち上げ、拡大させていくことをミッションとするスタートアップベンチャー企業のアントレプレナーになろうという考えは、全くありませんでしたし、本質的には、それは今も変わっていない気がします。

というのも、私には家族経営の零細企業の経営を引き継いだ経験はありますが、不良債権処理に近いクロージングのための関わりでした。介護と同時期だったこともあり、とても大変な経験でした。それを15年以上もやっていたので、心身ともに疲労し、フリーランスで仕事をしていくのが良い、経営者はもうやらないと決めていたのです。

プロジェクトベースの経営

この事業は公益性の高い事業です。なぜ、私が経営者になるという展開になったのだろうと不思議に思ったり、小さな民間企業が支えきることの限界についても考えたりします。私は答えを探さないことにしています。存続に価値があるなら、存続するんだろう、と気楽に思っていて、少なくとも萌芽期においては私が関わることが良いことなんだろうと思っています。

2018年3月に本格的に事業を引き取ることになった時、会社の資金はない状態だったので 最初の仕事は資金調達プロジェクトでした。出資を受けるまでは私の貯金で支えることになりました。普段は貯金のない私ですが、その時は偶然貯金がありました。できれば半年、最長で1年間という期限を決めて始めました。

2019年5月に大阪大学ベンチャーキャピタルという官民ファンドから出資を受けることが決まったのですが、出資直前には会社の現預金は538円、私の貯金も数万円になっていました。資金調達プロジェクトの終了ぎりぎりでなんとか成立しました。

「そんなに思い入れがあるのか!」と思う方もいるかもしれませんが、我が家は自営業者の家系なので自然な感覚です。 当時の私は、今回決着しなければ時期が違うということなんだろう。 私は晴れて別の仕事をすればよいだけ、 貯金は無くなっちゃったけれど、認知症の家族介護を抱えているわけではないし、借金があるわけでもないので、大した問題ではないという感覚でした。

開発プロジェクトの始まり

官民ファンドからの出資ということは、税金が含まれている資金です。多くの人々が体験する認知症ケアの辛さを楽しさに転換するための商品を提供することがこの事業の存在価値だろうと思います。そして儲けを出せる事業に育てることで、持続可能な事業に仕上げていくことができれば、私はこの事業から卒業できるのだろうなと思います。早く、そういう日が来るといいなと思います。

まずは普及のための商品を完成させて、開発プロジェクトを成功させて終えることが今の私の役割です。 (2020.05)